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社内ニートだった頃の話①

今は、建前は個人事業主だけど実質ニートな私。
そんな私はどんな会社にいても社内ニートを経験してきた。自分で考える力が全然無かったのと、単に運が無かった(?)のと、純粋にアホで理解力が乏しいが故に自分でその立場に追い込んでしまったのと。

社内ニートは一つもいいことは無い。仕事しないでお金もらえるなんてラッキーと思える人は幸せだと思う。
ただ呼吸し続けるだけでお金掛かるのに、そんな悠長なこと言って立場に甘えてしまっては先が無くなる…と徐々に焦りとどうしようもない虚無感が襲ってくるのが普通なのではないかと。

最初の社内ニートは新卒で入社した会社だった。
大学の時に情報工学を専攻したものの、コンピュータ関連の知識は吐き気しか無くなるくらい頭に入らず、プログラミングも全然理解できず全くできなかったので、絶対にエンジニアになりたくなかった。
だから技術職以外の職で就活していたのだけど、何をやりたいのか具体的なビジョンがまるで無いまま就活していたので、結果は散々だった。
そんな時に当時住んでいた福岡で採用試験をしていた土木系ソフトウェアの開発をしている会社が、技術営業という職種を募集していたので受けてみた。そしたら、あっという間に受かった。
もう就活をしたくなかった私は、そこでいいやと決めてしまった。

でも結局、それが間違いだった。

一体どっちなんだと思ったその職種はただの営業だった。わかる人はすぐにわかるだろうけど、アホな私は営業の人に技術サポート的なことをするものかと勘違いしていた。
当然、オタク気質でプレゼン力も低く自分で考える力が無い自分は、営業の仕事が本当に心の底から嫌で3ヶ月目にして退職願を出した。

営業の仕事がどんなものだったのかというと、まず、入社後は座学の研修のようなものを1週間、その後架電でのセミナーの集客の研修(研修と言いつつガチで集客しないといけない)。集客は一人一人リストが渡され、順番に電話をかけてその会社で開催しているセミナーに案内するものだった。その後、1週間開発部隊でシミュレーターのバグ探し研修(これはユルユルだった)。
研修が全部終わると、先輩社員と一緒に自分の担当エリアへ営業に向かった。ちなみに先輩社員が同行してくれたのはこれきりで、あとは1人で行かなければならなかった。
ソフトの使い方も分からず、土木の知識も全く無く、一体何をどうすれば製品が売れるのかちんぷんかんぷんだった私はとにかくやる気が無かった。
そんな中でも社内にいると営業取締役のおばちゃんが大阪弁で怒鳴り散らすので、朝会社ついたらすぐに準備して出かけて、ほとんどぶらぶらしていた。たまにリストのあるところに行ってみたりしたけど、存在していなかったり、何年も取引しておらず来られても困る的なところも多かった。
社内にいて架電営業することもあったけど、ソフトのことで質問されて調べているとおばちゃんが、「そんな無駄なことするぐらいならさっさと電話しいや」と言ってくるので、本当に社内にいたくなかった。
入社2ヶ月目にして出張にも行った。もちろん1人で。担当は新潟で、レンタルサイクルで会社を回った。新潟は優しい人が多かった。売上には繋がらなかったけど、話をしっかり聞いてくれる人が多かった。

ちなみに最近その会社のCMをたまーに見かける…。当時はリーマンショックの後で、新卒の社員が半年以上就業すると補助金もらえる制度があり、私は当然のように引き止められた。
面接の時に手先が器用で半田付けが得意(学生の時センサーとかのデバイスを作っていて、設計ではなくその実装だけ唯一楽しくやっていた)と言ったことから、ロボット開発チームという土木の設計ソフトがメイン事業なのを疑いたくなるような開発チームへ移動する条件で、退職を留意させられた。

だがしかし、それが地獄の始まりだった…。

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